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Imogen Cunningham イモージン・カニンハム

1883年、アメリカで生まれる。シアトルで育ち、ワシントン大学に入学。女性写真家ガートルード・ケーゼビアに憧れ写真家になることを希望するが、そのためには科学的な知識が必要だという教授の勧めを受けて、大学では化学を専攻。
 卒業後、エドワード・S・カーティスの写真スタジオで働き始め、彼のもとでプラチナ・プリントの技法を習得。1909年、大学の奨学金を得てドイツのドレスデンで写真化学を学ぶ。帰国後はシアトルに写真スタジオを開設。主として本人や友人が扮装して撮影した絵画的でソフト・フォーカスの写真を発表。書籍『女性の職業としての写真』出版。その中でカニンハムは、自分自身のために努力することを説き、女性に対し職業を得て自立することを奨励している。
 1914年、初の個展がブルックリン美術館で開催。同じ時期にシアトルの版画家ロイ・パートリッジと結婚し、息子が誕生。ロイがオークランドのミルズ・カレッジで教師の職を得たため、自分のスタジオを閉めてカリフォルニアへ移住。双子の男の子も誕生。1920年代、カニンハムは従来のソフト・フォーカスの写真から、ピントの合った植物の近接撮影の写真や、工業地帯の風景や建築物などをユニークな視点でとらえた写真を撮るようになる。光と形、そして抽象的なパターンを巧みに扱ったこれらの作品は、西海岸における現代写真のパイオニアの一人に数えられている。
 1932年、アンセル・アダムスやエドワード・ウエストンらによって写真家グループ「グループf/64」が設立され、カニンハムも参加。1934年、「ヴァニティ・フェア」誌からニューヨークで撮影の仕事を受け、アルフレッド・スティーグリッツのポートレートを撮影。夫を振り切る形でニューヨークへ行ったため、離婚。ニューヨークから戻った後、ストリート・フォトグラフィーも撮り始める。1950年代にはビート・ジェネレーションの詩人たちを、60年代にはサンフランシスコのヒッピーカルチャー発祥の地、ヘイト・アシュベリーのフラワーチルドレンを撮影。
 1970年、87歳でグッゲンハイムの奨学金を得て、自らの古いネガをプリント。同時に、ベトナム戦争に反対する姿勢を表明する。晩年も、カニンハムは死の直前まで精力的に活動し、92歳で最後となるプロジェクトに着手。90歳以上の人々を撮影したポートレートを写真集にするプロジェクトで、それは未完のまま終わったが、カニンハムの死後にまとめられ出版。

PORTFOLIO / PRINTS

  • Imogen Cunningham

    The Eye of Imogen Cunningham

    イモージン・カニンハム

    ポートフォリオ集 『ザ アイ オブ イモージン・カニンハム』

    20世紀を代表する写真家イモージン・カニンハム。1900年代初頭から70年代半ばにかけて活躍してきた彼女の作品を、初期作品から円熟期、そして最晩年までの時代を5期に分け、代表作25点を収録いたしました。特製ボックスに収められたイモージン・カニンハムのこの上ない美の世界をご堪能いただければと思います。
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