ARTISTS

< BACK

Shomei Tomatsu 東松 照明

1930年、愛知県生まれ、2012年に沖縄にて逝去。戦後日本の写真界を牽引してきた一人であり、荒木経惟が東松への追悼に「東松さんは写真界のドンというか、私にとって校長先生。あごひげなんかたくわえて風格があって、親分、親方だな」と語っていた通り、その活動が後進に残した多大なる影響は計り知れない。ドキュメンタリー写真に袂を置きしつつも、戦後日本が抱えてきた問題を告発するにとどまる従来のフォトジャーナリズムを超えて、「表現」に昇華したその叙事詩ともいえる作風は、写真表現に新たな可能性を切り開き、写真界のヌーヴェル・ヴァーグとして着目された。1959年には細江英公、川田喜久治らとともにセルフエージェンシー「VIVO」を設立し、いわゆる「客観的」な報道写真とは決別し、「主観的」な表現写真へと傾倒していく。
  東松が写真を撮りはじめたのは大学時代で、卒業後は上京して岩波写真文庫のカメラマンとしてスタートを切るも、2年後の1956年には独立する。しかし、この出版社でのキャリアが、東松の写真家としての方向性に大きく寄与している。写真を出版物として編む、写真を印刷物として伝える、写真を連作として見せる手法で、次々に作品を発表することになる。雑誌「カメラ毎日」での組写真によるフォトストーリーや、『〈11時02分〉 NAGASAKI』(写真同人社、1966年)をはじめ、出版社「写研」を自ら興し、『日本』(1967年)、『サラーム・アレイコム』(1968年)、『OKINAWA沖縄OKINAWA』と『おお!新宿』(1968年)、さらに万博を取り上げるカルチャー誌『KEN』を刊行し、東松自身が写真家はもとより、編集者から、デザイナー、評論家、発行人にいたるまですべてを担い、ここに複数の写真によって作品を発表する、いわば写真表現=群写真といったスタイルも確立していく。
 もう一つ、指摘しておくべき東松の作品に大きな影響を与えるキャリアは、1968年に開催された『写真100年——日本人による写真表現の歴史』展の調査委員の一人として参加したことである(この成果は1971年に日本写真家協会編で平凡社より刊行された『日本写真史——1840-1945』にまとめられている)。このプロジェクトは、1960年代後半に、写真評論家や雑誌編集者たちが日本の写真史を確立し、議論のプラットフォームとなるような体系化を望んだことからはじまった。そして東松は、戦争によって断絶していた日本における写真黎明期から戦前までの写真を徹底的に掘り起こし、欧米の写真表現とは異なる、日本人による独自の写真表現とそのルーツを読み解くこととなる。
 この調査と前後して東松が取り組んでいた土地は、沖縄だった。この地で東松は、アメリカニゼーションの影響を受けていないその風土に、文化に、そして人々の姿に感銘を受けることになる。そして1975年、沖縄で撮影した写真と沖縄を起点に旅したアジア各国の写真を編んで上梓したのが写真集『太陽の鉛筆』だった。このシリーズは、後半がカラーで撮られた写真で撮影されている。後に東松が「今回、これまでの50年間の写真の見直しをやって、少し見えてきました。モノクロからカラーへの移行はアメリカ離れだということが。僕のモノクロ写真にはアメリカが見え隠れしているけど、カラー写真にアメリカの影は薄い」と語っている通り、主題においても、表現においても、この時期、東松は大きな転換を経ている。その後の東松は、それまでアメリカと日本、戦争と戦後、都市と地方、アメリカニゼーションと土着の風俗といった二交対立の構図ではなく、日本そのものをまっすぐに見つめ直していくことになる。
 こうした丹念で永続的な功績は国内外で評価を得て、1992年にメトロポリタン美術館で、1996年には東京国立近代美術館フィルムセンターで個展を開催。1999年には東京都写真美術館で回顧展「日本クロニクル」、2000年に長崎県立美術博物館で「長崎マンダラ」展を開催以降、「沖縄マンダラ展」(浦添市立美術館)、「京まんだら展」(京都国立近代美術館)、「愛知曼荼羅展」(愛知県美術館)、「東京曼荼羅展」(東京都写真美術館)と、日本曼荼羅シリーズを各地で開催した。また、2004年より2007年にかけて回顧展「Skin of the Nation」が、アメリカ、ヨーロッパ各地を巡回。没後の2013年には、アート・インスティテュート・シカゴでは個展「Island Life」が開催されている。
 2012年年明けに東松の訃報が伝えられると、欧米の主要な媒体が次々と追悼記事を掲載した。日本の現代写真を語る上でも欠かせない存在であるばかりか、東松の業績に対する世界的な評価と注目はますます高まっている。東松の60年に及ぶ写真家としての業績を、いま、あらためて再評価する時期を迎えている。

PORTFOLIO / PRINTS

  • Shomei Tomatsu

    Pencil of the Sun

    東松照明

    太陽の鉛筆

    「誤解を恐れずにいえば、ぼくは、沖縄に来たのではなく日本へ帰ったのであって、東京へ帰るのではなくアメリカヘ行くのだ」                                                    […]
    MORE >